せいかつのつぶやき

日々の生活、暮らしのなかで思ったこととか

はじめてのグランピング体験で「何もしない」をする

先日、はじめてのグランピングを体験した。

場所はおうちから30分ちょいのキャンプ場。めちゃくちゃ気軽にこんな気持ち良い自然と思いっきり触れ合えるの、地方ならではの特権やねぇ。カッコウホトトギスが元気に鳴いていて、息を吸い込むと全身に森の香りが入ってくる。グランピングした日はお天気も良く、そよそよと吹く風も気持ちよくてもーほんとうに最高でした。

 

グランピングについての知識がなく、テントを持っていない人のための備え付けテント的なやつかな??みたいな雑イメージしか持っていなかったので、当日実物を目の当たりにしてその豪華さとオシャレさにビックリ仰天した。テントじゃなくておうちだねこれは…。普通に電気が通っていて冷蔵庫もありゃエアコンもあるし、もちろんコンセントも完備。タオルも置いてくれているしアメニティも充実していて、マジで普通にホテルって感じ。まさかこんなに至り付くせりだと思っておらず(施設のHPに詳しく書いてなかったんだもん…)めちゃくちゃ大荷物で出発したけど、ほとんど使わなかった。

 

ここは施設自体が最近できたということもあり、キャンプ場なのにすべての設備がめっちゃキレイで快適だった。水回りはお湯が出るし、なんと温泉も湧いている(そして宿泊者は何度入っても無料!)。実はここに泊まるぞ~と予約サイトをポチした決め手がこの温泉で、かなり泉質が良いのです(まぁ詳しいことはしらんけど)。元々は温泉施設の日帰り利用ができると聞いて「ま、家から近いし行ってみるか~」とスーパー銭湯に行く感覚で訪れたところ、夫婦して「え…ここのお湯めちゃくちゃ気持ち良いんだが…なにこれ…!?!?」と興奮し、その場で次週末のグランピング施設を即予約した、という経緯がある。

そんな訳で温泉もむちゃくちゃ良かったけど、やっぱり気軽に&手軽に思う存分自然を満喫できたっていうのが何よりもよかった!大都会に住んでいる訳じゃないからそら普段の生活の中にもそこそこ自然はあるのかもしれないけど、でもやっぱり山の自然は全然別物だった。夜、空を見上げたら落っこちてきそうなくらいたくさんのお星さまがピカピカしていて、同じ市内でも場所が違うだけでこんなにも夜空の見え方が違うんだ…とドキドキした。こんなお空、むちゃくちゃ遠くの田舎の山奥に行かなきゃ見れないと思っていたよ~!

夜ごはんはBBQを楽しんだ。グランピング施設を予約するとバーベキューコンロも焚火台も無料で貸してくれた。バーベキューコンロは使い方がよく分からなかったので結局持参したガスコンロ&焼き肉プレートを使ったけど、焚火はなんとか火がついたのではじめて自分たちで焚火をした。焚火の音ってすごく心が落ち着く。すごくよかったな…。

 

普段生活をしていると「何もしない」ってことが案外難しいなと感じる。たとえばソファに腰掛けて一見何もしていないようにみえても、頭の中で「…あっそうだ、今月まだ食洗器のお掃除してないな。それから車の定期点検の予約もそろそろ入れなきゃ…」みたいな感じで、結局なんかしら考えてしまっていたりする。だけど、自然の中に身を置いたら、なんでか分からないけど、かなりナチュラルに「何もしない」ができた。ウッドデッキに椅子を置いてお水を飲みながら木の葉が揺れる音に耳を傾けていたら、あっという間に1時間が経っていた。「何もしない」「心を休ませる」ってこういうことかな…?と、ほんの少しだけど分かったような気がしてうれしかった。

 

普段の生活に戻った今、「自然」を感知するアンテナが以前よりもちょっと高感度になった自覚がある。街路樹の葉っぱが揺れているのを見るとキャンプ場に行ったあの日の空気を思い出して心がふっとやわらぐ。窓から入ってくる風が頬を撫でる感覚に、前よりも敏感になった気がする。風が気持ちが良いな、って思うことが増えた。自然に感覚を委ねてリラックスするのが少しだけだけど上手になれた気がする。この感覚を大事にして、これからを暮らしていきたいなと思う。

気持ちのon⇔off切り替えのむずかしさ…

リワークに通う頻度が以前よりも少し増えてきた。プログラムも、負荷が軽いものだけでなく少しだけ重めのものにも参加するようになってきた。亀みたいなノンビリ…ノンビリ…の歩みだけど、でも確実に一歩一歩前に足を進めているような感覚があってうれしい。できないことよりできたことに目を向けよう!と思って日々を過ごしています。

 

で(?)、最近考えていることの1つに「気持ちのオンとオフのコントロールむずかしいな」というのがある。リワークに通う頻度が増えたり負荷高めのプログラムに参加したりして気力も体力も使った時に特にそうなる傾向があるんだけど、帰宅後に気持ちをおそとモードからおうちモードにうまく切り替えられないことに気付いた。家に帰った後、ふと「今日のあの人との会話、どういう意味だったんだろう」とか「プログラムで行った発表、ああした方がもっとよかったよな~」など、リワークでの出来事をいろいろと思い返してしまって、気が付いたら悶々と考えてしまっている…みたいなことがままある。自覚していなかっただけで、たぶん在職中ん時もそういうの結構あったんだろうな~…。これじゃあオフの時間を取ったとしても、本当の意味ではオフの時間を過ごしたことにはならない。だから、おうちに帰ってきたらちゃんと心もオフモードに切り替えてしっかりとリラックスできるようになりたい!でも、気持ちのオンオフを上手にコントロールするのってなかなかできないんだよな~…むずかしい…みたいな悩みがあります。みんな、どうしてるんだろう?

奈良・東北のみほとけ展、ジャズ喫茶、返信状アート

今日の午後せこせこ長文ブログを書いていたのに、うまく更新できずすべてが消えてしまった…ガッデム…というわけで、これは書き直しブログです。かなC

 

先日、東北歴史博物館の企画展に行った。

教科書などで絶対見たことのある超有名な鑑真和上坐像の実物をはじめて観た。わたしがイメージしていたよりもちょっと小さく、すこし華奢で、柔和で静謐な印象を受けた。まつ毛やひげも一本一本丁寧に彫られていて、製作者の鑑真和上への愛みたいなものも伝わってきた。

わたしが元々持っていた鑑真和上坐像イメージは、土門拳の撮った鑑真和上坐像の影響を大いに受けていた気がする。わたしは彼の写真から静謐さとともに強い意志や凄み、存在感みたいなものを感じていて、鑑真和上坐像といえばそのイメージが強かったから実物を見たときに「あれ?思ったよりやわらかさがあるな」という感想を持ったんだと思う。(ちなみに企画展の最後の方に、なんとその土門拳の撮った鑑真和上坐像の写真も展示されていた。大きな写真だとさらに迫力があってカッコイイな~)

今手元に入江泰吉の写真集があるんだけど、ここにも鑑真和上坐像が載っている。

この鑑真和上坐像からは深い慈悲や愛、その底にある強くしなやかな芯みたいなものを感じる。わたしは鑑真和上坐像を見て「思ってたより小柄だな~。なんかやわらかそうな人だな~」みたいなボンヤリした感想しか出てこなかったけど、土門拳入江泰吉は鑑真和上坐像の魅力をめちゃくちゃ解像度高く理解していたんだろうな…。だからこそ同じ被写体でもまるで違うものを取ったような印象の作品ができあがるんだろうな、プロってまじすげ~!と思った。

 

その後、近くのジャズ喫茶に行った。

調子が悪くなってから音に敏感になってしまってジャズ喫茶からも足が遠のいていたので、なんとジャズ喫茶に行くのは1年半ぶり?。大きな音大丈夫かな…と心配だったけど、すっげー良い音だったからか大丈夫だった。よかった…!!このお店を調べていた時に「耳から全身マッサージを受けているようだ」みたいな口コミを見つけてほほぅ…と思ったんだけど、たしかに音だけにすべてを委ねる時間というのは、ある意味マインドフルネス瞑想みたいなもんで脳にもいいのかもしれない。まだ長時間過ごすのは疲れるかなって感じだけど、少しずつでも行動範囲が戻ってきた・広がってきたことがすなおにうれしい。

 

最近は久しぶりに体調がガクッと下がってしまい、すべてが順調に思い通りにいくことなんてないってイヤほど分かっていたはずなのにそれでもやっぱり結構ショックを受けていたけど、でもこうやって色々なところに行けるようになってきたその嬉しさの方に目を向けようと、今こうしてブログを書きながらおもいました。

 

おまけ。最近のちくちく。(結婚式の招待状の返信はがきに紙刺繡して遊んだ)

台所のひも、お寿司

GWなので(?)プチDIY?をした。

場所はお台所、シンク上の照明。紐がめちゃくちゃ短く(写真左参照)、毎回照明を点けるたびにエイヤッと背伸びしないと届かない状態だった。そんなん入居後即長い紐つけたらええやんって感じだけど、何故かその考えに至らず、今まで何年もこの状態で暮らしていた。つい数日前にようやく「これ長い紐つけたらええやん」と気付いたので、さっそく麻紐をちょうど良い長さまでスレッドコード編みし、紐を掴みやすいよう端っこに木片?も引っ掛け、それをもともとあった超短い紐にくっつけた。

←before after→

お台所キレイじゃないからモノクロ加工にしたら意味わかんない感じになっちゃったけど、とにかくむちゃくちゃ快適になった。背伸びしなくてもライトを点灯できるラクチンさよ…!

これを書きつつ「いやだからなんでこんなことに何年も気付かなかったんだよ」と改めて突っ込みたくなるけど、なんかわたしはこういうのが結構ある。「ヨシッ!今から家の中のプチストレスを見つけ、それを解消するぞ!」となるとストレスポイントがすぐ見つかるのに、それまではなんでかその不便を当たり前のごとく享受してた…みたいな。わたしの思う&目指す「丁寧な暮らし」は、こういった暮らしの中に潜む小さな不便さにきちんと気付いて、それを都度メンテナンスしてあげる…みたいなイメージなのだけど、それって簡単そうで難しいんだよなぁ…。

 

先日初訪問したお寿司屋さん。ちょっとびっくりするくらいアタリのお店だったので記録としてお写真を残しておきます。

見てよこの大トロ×2…!真ん中におわすは閖上産の赤貝、雲丹は写真左が宮城県産の紫雲丹、右は北海道産のバフン雲丹。秋田県産の烏賊もむちゃくちゃ美味しかった。まず素材が良すぎるんだろうけど、なんといっても包丁の入れ方?にすごく工夫…というかこだわりが感じられてプロの技すっご…となったんでした。

 

プチ不調を無視せず一つ一つケアすることの大切さ

最近、心身のプチ不調を改善・緩和させるためのセルフケアグッズ?を色々と開拓している。たとえばお灸。お灸って難しそうだし近寄りがたいイメージがあったけど、いざ試してみると簡単だし結構たのしい。

 

メンタルがダメになってぶっ倒れる前は、原因不明の体の不調にちょいちょい悩まされた。突然の蕁麻疹、酷い手湿疹に汗疱、持病の悪化、不正出血、などなど。当時は病院に行くたび「コレといった原因はなさそうです。ストレスとかかな?」と言われて「コレといった原因はないんだ!よかった~」と謎に安心してしまっていたけど(そして、当時は「誰にだってちょっとしたプチ不調の1つや2つくらいあるもんだし、それら全部にいちいち気ぃ使ってたらそれこそストレスだわ」とも思っていた)今は体の出す必死のSOSをもっとちゃんと受け止めたらよかったと反省している。

 

 

 ストレスが心じゃなく体の不調となって現れるパターンの対処って結構難しいんじゃないかと思う。お薬などで症状を抑えたら一見「治った」感じになっちゃうので、もうそれで自分の心身や不調と向き合うことを終了して今まで通りの生活に戻ってしまいがちだから。今までの自分がマジでこれだった。そしてその結末がメンブレだったのだ…

じゃあ、どうすればよかったのか?お薬などで症状を抑えるのはダメだったのか?っていうと、そんなことはないと思う。ストレスによる不調が心ではなく体に出てくるパターンでも、体が痛かったり怠かったり重かったりするとそのツラさ自体もストレスになってイライラしたり余裕がなくなったりと結局はメンタルにも影響が出てきがちだから。だから、体の不調はやっぱりちゃんとこまめにケアしていくのが絶対大事。ただ、症状を抑えられたからもうその後はガンガン今まで通りの活動をしてOK、という考え方を変えていく必要がある。体のツラさが緩和された時こそ、改めて今の自分の状況や生活、基本的な健康習慣を見直して、調整していくのが大事なんだなー…という、そういう多分当たり前のことに最近やっと気付きました。

 

で、そのへんのことを考える中で、「そういや今までは病院へ行くことを考えるレベルの明らかな不調が現れるまで自分の不調に気付けていなかったなー」という気付きがあった。本当はプチ不調に気付き、こまめに心身をケアしてあげられるのが理想だと思う。そのために、毎日の暮らしの中で自分の心身と向き合うセルフケアタイムを設けることが有効では?その手段の一つにお灸が使えるのでは?と思ったわけです。(ようやく冒頭のお灸の話と繋がった)

 

お灸をするってなると、「今日はどこにお灸を据えようかな?そういや頭が重い感じがするから頭痛に効くツボにするか」みたいな感じで自然と自分の心身の状態に目を向けることができる。それから、お灸をしている数分の間は熱の感じ方に集中するからマインドフルネス的効果もある。リラックス効果もあるし、自分自身に向き合っている・セルフケアしているぞっていう気持ちになれるのも良い。お灸はとっつきにくそうなイメージがあるけど、実際にはそのへんのドラッグストアに売ってるくらい身近なもんだし、種類も色々あるから自分の生活スタイルに合ったものを選ぶこともできる。まだまだセルフお灸をはじめて日の浅い新米人間ですが、なんかなんかお灸いいかんじです!続けてみよーっと!

2023年4月のこと

年を取れば取るほど体感秒で月日が過ぎていくので、月末になるたび「えッもう今月終わり?まだなにもしていないんだが…」と焦りそうになるけど、1ヵ月の振り返りをすると「いやいや今月もがんばってるやん」と思える、そういう良い効果に最近気付きました。って訳で今月も少し早いけど振り返りするぞ~

 △前月分

リワーク編

今月も大きく体調を崩さずリワークに通うことができた。まずはそれが本当にすごいしえらいネわたし!先月よりも気力体力ともに余裕を感じながら通所できたと思う。逆に言うと守り気味での通所ペースだったかもしれない。(前職の会社が「休む奴はクソ」の価値観だったのでそれを今も引きずっていて当欠することへの恐怖が超あり、ゆるめの通所ペースで事前申告していたんだなぁわたしは…という気付きがあった。来月はちょっぴり攻めのペースで事前申告し、もし当日調子が悪ければ適切に休む判断をして施設に連絡を入れる訓練?をしようと思った)

今月は、自分自身の仕事に対する姿勢について見つめ直してみた。その結果、わたしのマインドセットって前職の社風や環境の影響をモロに受けてるな(新卒入社して10年以上在籍したんだからそらそうや、という話だけど)…すげー歪みがある…ということが浮き彫りになった。たとえば「仕事できねー奴はクソ」という価値観。これにすごく影響を受けていて、過程よりとにかく結果を重視しがちだし、仕事に対する責任感やミスを恐れる気持ちが過剰だったと思う。一度でも職場の人間に仕事できないレッテル貼られたら終わりという恐怖があるから、助けを求めたり弱みを見せたりしたくない気持ちも強かった。さらに、他者のことも仕事ができる・できないで判断してしまう節があるな…と思った。仕事する上でそのポジションで求められて然るべき責任感やプロ意識は持つべきだけど、自分も周りも苦しめるような過剰さはよくないよね。

…と、とりあえずそういうことに気付けたけど、でもこの一度染み付いてしまった思考を変えていくのこそがすごく大変で、こっからが本番だなと思う。今はパブロフの犬のごとく冷静に考えるよりも早くにこのイヤな思考のクセが出ちゃうところがあるので、少しずつ少しずつ、1ミリからでいいから考え方や物事の捉え方を修正していきたい。

他にも、自分の強みを発見できたり…

以前よりも自身の小さなストレスに気付けるようになったりした。

 

振り返れば振り返るほど、わたしはすごくすごくがんばっているしたくさん学んで得たり手放したりして成長しているぞ!メンブレしなかったらあんなに辛い気持ち状況も味わわずに済んだのに…と今でも口惜しい気持ちはめちゃくちゃあるけど、もうメンブレしちゃったもんはもうしょうがないので、これからの人生より良く生きていけるようにこうやって焦らず今の自分に時間も学びも投資してくぞ。

 

ごはん編

今月は夫のお誕生日があり、ちょっとええとこでご飯を食べた。

 

自炊は1~2ヵ月前に買ったグリラーを使いこなしてきたこともあり、一気にレパートリーが増えた。今までは手作りハンバーグとかそんな面倒なもんは絶対作らん!と思っていたけど、グリラーの中で挽き肉をそのまんま小判型に成形して焼いちゃえばツナギなどなくてもなんちゃってハンバーグが作れると分かったので、作るようになった。なにより魚焼きグリルって一旦火を入れたらできあがりまでほったらかしにできる気楽さがあるから、グリルの使用頻度があがったことでお料理に対する気持ち的負担が結構減った感じがある。義両親からいただいた北海道のホワイトアスパラもグリラーに突っ込んだらあれよあれよとむちゃくちゃ美味しい一品ができあがった。ほわっほわで美味しかったなぁ~。

 

来月はリワークの通所頻度を増やす予定なので、家事との両立(というか見直しや改善)を目標の一つにしたい。働いていた頃、夜にヘトヘトの体と心で帰宅してから行う家事が超絶ストレスだった。休んでいる間に家事の見直しやお料理スキル向上のための取り組みはちょこちょこしてたんだけど、来月は通所頻度増によりきっとヘトヘトの体と心で帰宅することになると思うので、さてその時に家事のどこにどんなストレスを感じるか!?の実験をしたい。そんで、また家事の見直しができたらいいな~と思う。もちろんなによりもムリのない程度にね。

あとは新緑の美しい季節&外でも過ごしやすい気候になってきたので、自然とたっくさん触れ合いたいな~。

花束、日々の小さなストレスに気付く訓練

夫のお誕生日にあわせて花束を買った。

お花屋さんで「予算2,000円でイメージは緑多めで爽やかな感じ。プラスでちょっぴりかわいらしさもあるとうれしいです」とオーダーしたら、とってもすてきな色合い&組み合わせの花束をつくってもらえた。…まぁ、お写真だとこちとら活けるセンスないのでとっちらかった感じになってもうてるけど実物はすーごく良い感じです。観葉植物は普段から部屋中にあちこちあるもののみんなお花をほぼ咲かせない子たちなので、こうしてお花がお部屋にあるとすごく新鮮な気持ちになる。お部屋の陽のパワー的なものの濃度がグンっと上がる気がする。普段は切り花を買うのは月に1回あるかないか程度だけど、もうちょい頻度を増やそうかな…と思ったりした。うーん、それにしてもお花はいつ見ても何度見てもかわいいし飽きないな~。加えて花瓶もハチャメチャにかわいさがアップしている。この子はお花を入れてなくても随分べっぴんさんだけど、お花を入れるともっともっとかわいい。(これは我が家ご自慢のビヨン・ヴィンブラッドの花瓶。ビヨン・ヴィンブラッドといえば…なあのカラフルなお顔の花瓶もかわいいけど、かなり貴重なこのシックなデザインたまらなくない?)

 

最近、以前よりも日々の小さなストレスに気付けるようになってきた気がする。たとえば、「お昼ちょっと食べ過ぎて体が重いな…」とか「このカフェ、空調が自分の感覚といつも若干ズレてるな」とか。

今通っているリワークでは毎回「今日の小さなストレスは何か?」を言語化するワークがあるんだけど、はじめはそれが全然できなかった。わたしは自分がストレスを抱えていることに気付けずある日いきなりぶっ倒れた人間なので、ストレス感知センサー自体がぶっ壊れているのだと思っていたけど、小さなストレス探しの訓練を毎日積み重ねる中で、感知センサーがぶっ壊れているのではなく、感知してもそれをあえてもみ消すように(無意識のうちに)努めてしまっていたのかも…と気付いた。

もし一回でも「これストレスだな~」と認識してしまったら、きっとそのストレスをまるっきり無視することはもうできなくなる。無視できなくなったストレスをすぐに対処できればいいけど、中にはすぐに取り除けないストレスだってあるかもしれない。そのストレスを受け続ける環境に居続けなければいけないかもしれない。そうなったら、そのストレスを認識する前よりもさらに大きくストレスの存在を感じ続けることになるのかも…みたいな、そんな不安から、ストレスを感知してもそれを認識する前に敢えてもみ消しちゃう!みたいな感じになったんかな~と思った。

まぁその方式で人生が最後までうまくいけばそれでいいのかもしれないけど、実際には無視し続けてドンドコ積み重なったストレスに押しつぶされてぺしゃんこになってしまったんだから、少なくともわたしにはダメだったのだ。今はほんまにしょうもないような小さなストレスも毎日探して言語化して、それに対してどういう対処ができるか丁寧に考え(※逃げるだけが対処ではないね、という気づきもあった。捉え方を変換してみたり、ストレスを抱えていることを自覚するからこそより意識的・積極的にストレス発散行動を取るようにしたり、ストレスで心身がボロボロになりがちな状況だからこそ睡眠や食事、運動などの健康維持行為により重点を置いてみたり…やれることはいろいろあるんだねぇ)、一つ一つ行動して効果を確かめてみる実験を繰り返している。めんどくささはあるけど、たぶん、健やかに生きていくためにすごく大切なことなんだろうなぁと思っている。

リワークに通う前、通うとどんないいことがあるんだろう?とか思っていたけど、こういう変化が自分に起こったんだよ~という記録をしておこうと思って書きました。