せいかつのつぶやき

日々の生活、暮らしのなかで思ったこととか

花束、日々の小さなストレスに気付く訓練

夫のお誕生日にあわせて花束を買った。

お花屋さんで「予算2,000円でイメージは緑多めで爽やかな感じ。プラスでちょっぴりかわいらしさもあるとうれしいです」とオーダーしたら、とってもすてきな色合い&組み合わせの花束をつくってもらえた。…まぁ、お写真だとこちとら活けるセンスないのでとっちらかった感じになってもうてるけど実物はすーごく良い感じです。観葉植物は普段から部屋中にあちこちあるもののみんなお花をほぼ咲かせない子たちなので、こうしてお花がお部屋にあるとすごく新鮮な気持ちになる。お部屋の陽のパワー的なものの濃度がグンっと上がる気がする。普段は切り花を買うのは月に1回あるかないか程度だけど、もうちょい頻度を増やそうかな…と思ったりした。うーん、それにしてもお花はいつ見ても何度見てもかわいいし飽きないな~。加えて花瓶もハチャメチャにかわいさがアップしている。この子はお花を入れてなくても随分べっぴんさんだけど、お花を入れるともっともっとかわいい。(これは我が家ご自慢のビヨン・ヴィンブラッドの花瓶。ビヨン・ヴィンブラッドといえば…なあのカラフルなお顔の花瓶もかわいいけど、かなり貴重なこのシックなデザインたまらなくない?)

 

最近、以前よりも日々の小さなストレスに気付けるようになってきた気がする。たとえば、「お昼ちょっと食べ過ぎて体が重いな…」とか「このカフェ、空調が自分の感覚といつも若干ズレてるな」とか。

今通っているリワークでは毎回「今日の小さなストレスは何か?」を言語化するワークがあるんだけど、はじめはそれが全然できなかった。わたしは自分がストレスを抱えていることに気付けずある日いきなりぶっ倒れた人間なので、ストレス感知センサー自体がぶっ壊れているのだと思っていたけど、小さなストレス探しの訓練を毎日積み重ねる中で、感知センサーがぶっ壊れているのではなく、感知してもそれをあえてもみ消すように(無意識のうちに)努めてしまっていたのかも…と気付いた。

もし一回でも「これストレスだな~」と認識してしまったら、きっとそのストレスをまるっきり無視することはもうできなくなる。無視できなくなったストレスをすぐに対処できればいいけど、中にはすぐに取り除けないストレスだってあるかもしれない。そのストレスを受け続ける環境に居続けなければいけないかもしれない。そうなったら、そのストレスを認識する前よりもさらに大きくストレスの存在を感じ続けることになるのかも…みたいな、そんな不安から、ストレスを感知してもそれを認識する前に敢えてもみ消しちゃう!みたいな感じになったんかな~と思った。

まぁその方式で人生が最後までうまくいけばそれでいいのかもしれないけど、実際には無視し続けてドンドコ積み重なったストレスに押しつぶされてぺしゃんこになってしまったんだから、少なくともわたしにはダメだったのだ。今はほんまにしょうもないような小さなストレスも毎日探して言語化して、それに対してどういう対処ができるか丁寧に考え(※逃げるだけが対処ではないね、という気づきもあった。捉え方を変換してみたり、ストレスを抱えていることを自覚するからこそより意識的・積極的にストレス発散行動を取るようにしたり、ストレスで心身がボロボロになりがちな状況だからこそ睡眠や食事、運動などの健康維持行為により重点を置いてみたり…やれることはいろいろあるんだねぇ)、一つ一つ行動して効果を確かめてみる実験を繰り返している。めんどくささはあるけど、たぶん、健やかに生きていくためにすごく大切なことなんだろうなぁと思っている。

リワークに通う前、通うとどんないいことがあるんだろう?とか思っていたけど、こういう変化が自分に起こったんだよ~という記録をしておこうと思って書きました。