せいかつのつぶやき

日々の生活、暮らしのなかで思ったこととか

自分は本能型将軍か知略型将軍か

先日「人生論 あなたは酢ダコが好きか嫌いか」を読んだ。

その中に情念で生きるタイプの人間(愛子氏)か、理屈で生きるタイプの人間(慶子氏)か…みたいな話があったんだけど、ちょうど最近似たようなことを考えていたのですごく興味深かった。

 

10代の頃から親や友人に「あんたは運と勘と要領で生きる本能タイプだ」と言われてきて、自分でもそうだと思っていた。ただ、社会人になって会社勤めをするようになると「なぜこうしたか?」と問われた時に「勘です!」とは答えにくいという壁にぶつかった。また、仕事のやり方・知識をいちいち人に聞くなという社風の中で、(自分の好きにやった結果間違っていたら困るので)何か分からないことがあればまず調べる癖がついた。もちろんそれらがダメってこともないけど、段々と「今まで自分は本能に頼りすぎて生きてきたのではないか。何かを判断する時、普通はもっとデータを集め・整理した上で行うべきなのかも」という考え…というより劣等感みたいなものが生まれた気がする。周囲にいるわたしの好きな・憧れる人たちにも理屈型が多く、何かあればデータや根拠をぱっと示して分かりやすく話してくれる姿がきらめいて見えたというのもあるかも。

 

その後コロナ禍という色んな情報を調べて生活せざるを得ない状況になったことも相まって「やっぱり本能優先ってのはうまくない生き方なんだなァ」という気持ちはどんどん強まったものの、理屈で判断する生活はわたしにとって非常に困難だった。自分はなぜメンタルダウンしたんだろうと考える時があるんだけど(いかんせんぶっ倒れるその瞬間まで自分が限界だと認識していなかったので、今でもいまいち理由がはっきり分からない)、この自分に向いていない考え方を積極的に取り入れようとしていたこともその一因なのかなァと今はボンヤリと思っている。

 

メンタルやられ太郎になってからは自分にとって負担になる考え方が難しくなったこともあり、理屈よりも本能で判断することが圧倒的に多くなった。そうするとめっちゃラク!脳もラクだけどそれ以上に圧倒的に気持ちが良い。わたしって理屈で判断するというスタイルが根本的に向いていなかったんだな~!と分かった。今までは本能型→おばか、理屈型→天才みたいな認識があったけど、(もしかしたらそういうなにかもあるのかもしれないけど)何かを判断する時の拠り所を本能的なものor理屈的なもののどちらにするとより気持ち良いかという感覚的な問題なのかなと今は思っている。そして、自分がどっち寄りなのかを自覚しておくことは心地良く生きていく上で結構大切なんだと思う。状況によっては自分にとって向いていない方法で何かを判断することもあるだろうけど、その時は「今自分にとって結構負荷のかかることやってんやな、よくよく頑張っていてエライなァ」と自覚して自分を労わることができる。そして、自分にとって向いている方法で何かを判断する時には「これは自分にとって気持ち良い判断なんだからこれで大丈夫!」とその判断にもっと自信を持つことができる。

 

ただ「やっぱりわたしは逆立ちしたって運と勘と要領で生きる本能タイプなのよね」とよくよく分かったけれども、本能タイプとして気持ち良く生きていくには自己肯定感の高さがひとつのポイントになる気がする。わたしは自分のことをわりと自己肯定感高めの人間だと思って生きてきたけど、メンタルがどん底にダメになった時に自分のことも勘もひらめきもすべてが信用できなくなってしまった。こうなると本能もクソも何もなくなっちゃうから、やっぱり健やかメンタルでいることが何よりも大事なんだよねぇ(結局はこれ!)。キングダムにも本能型将軍か知略型将軍かみたいな似たような話があったけど、本能型将軍の麃公だって信だって健やかメンタルっぽいもんね。